加納ミサ公式 Blog & Column 心で生きる Healing The Heart

真実の顔とは


わたしたちの顔は生涯、直接見ることはできません。

鏡を通して、写真や動画を通して、レンズを通して

「あ~、わたしってこういう顔していたんだ」と

客観的に認識するのでしょう。

 

わたしたちの人柄も、性格も、周囲の声を聞いて

「わたしの性格は、、、」と人格を形成していきます。

 

だとしたら、本当の自分って何でしょう?

真実の自分とは、どの人に向けていた顔が

「ほんとうのわたし」のなのでしょうか?

 

どの顔も、どのような個性の私でも、

確かに「わたし」では在ります。

 

では、鏡を通して見ていた自分の顔や

周りからの声をすべて取り除いたとき、

わたしたちには、何が残るのでしょうか?

 

「わたし」という存在は周囲の影響によって

人格を形成する以外、何者なのでしょうか?

 

「ほんとうのわたし」とは、外見からではなく

内側から湧き出る思い、

”心から満たされる’’思いを持つことではないのか、と。

 

言葉だけでの先走りではなく、

真の意味での理解がここでは必要になってきます。

 

周囲の期待や、声に惑わされず

心から満たされることを、腹におちる感覚まで持っていく。

 

それには とことん自分の心に正直に向き合うことかな、と。

これはとても勇気のいることです。

 

無かったことにしよう、見なかったことにしよう。

流されていた方が、考えなくていいから。。

その方が楽な生き方かもしれません。

 

しかし、わたしたちの顔はどんどん

周囲に合わせた顔になっていくのでは。

周囲が見たいような顔に。

周囲が扱いやすい性格に。

 

心が満たされないままの、七変化の顔がいいのか

心が満たされた 真の姿がいいのか

 

どちらを選択しても良いも悪いもないけれど、

どちらの生き方を選択したいのか

すべては選択次第なのですね。

 

振り子の幅


 

「振り子の幅を人生にたとえるとね、、、」

友人と美の談義をしていた時のことです。

 

振り子が止まっている時をゼロとする。

右へ左へと、同じ幅だけ左右に動く。

当たり前のことです、当たり前のことです。(^_^)

 

これを人生に例えてみます。

この揺れ幅は、一人一人オリジナルを持っています。

+(プラス)に動いた同じ幅だけ、-(マイナス)の幅も動く。

 

人生の深さを生きている人は、その幅だけプラスに動く幅を持っている。

大きく動くことはなくても、同じ幅だけの動きを左右に持っている。

 

これに関して、良い悪いはないと。

たとえば、わたしは深く動くことはない、と。うん、それでいいのです。

それがその人が選択した、最大の幅なのだから。

 

そして今、絶望を感じていたとしても、

その幅の分だけ、大きな大きな喜びを感じる振れ幅があるのだということ。

これも、その人が選択した最大の幅なのだから。

 

これだけの幅だから、とか

こんなにも大きな揺れ幅がある、とか

そのような比較は関係なく、ただ、わたしたちが選択した幅だから。

 

それを受け入れたとき、センター(ゼロ)に

振り子が止まるのかな、と思います。

 

どのような振れ幅があったとしても、

目指しているところはただ一つ、センターなのかもしれませんね。

 

 

 

すべては自分の中にある


 

『 すべては 自分の中に在る 』

 

この言葉の意味を体験をもって細胞に刻まれたのは、2年前。

写真の’まつぼっくり’さんが私に教えてくれました。

 

山中湖のリトリートワークに参加していた時のこと、

自分の波長をシンボルにするというワークを戸外で行っていた時のことです。

 

そのときの私は誰よりも素敵なものを見つけようと、

両手いっぱい、葉っぱや木の枝など拾い集めていました。

外側ばかり気にして探していたのだと思います。

 

ところがこんなにたくさん拾ったのに、

なぜかそこから満足のする一つを選ぶことができません。

それよりも、もっと良いかたちをした葉はないかな、

これ珍しい。など、もっともっとが止まらない状況でした。

 

終了のベルが鳴る直前、わたしは「・・・、何か違和感が。。、」

焦りと飢えに似た満たされない感覚を覚えました。

 

少し手放した方が良いかもしれない。

かすかな声に耳を傾け、両手いっぱい拾っていたものを

地面にそっと置き、土の上に大の字になり ゴロンと横になりました。

 

風に乗ってサカサ鳴る葉の音、虫の音色、

土と草のにおい、あったかな太陽のぬくもり。

何も考えずただただ、静かに全身で受けとっていると、

ワーク終了のベルが鳴りました。

 

目を覚ますと、私は何も持たず起き上がり会場へと歩き始めました。

何も手にはしていませんが、

わたしは心から満たされていることに気づきました。

 

歩きながら、ふと首から下げている自分のネームタグを見ました。

そこには、、、一個の小さなまつぼっくりが入っていました。

 

それはその日の休憩中、森のなかを散歩しているときに出逢っていました。

なんとなく気になって拾い、そのままネームタグに入れておいた

松ぼっくりだったのです。

 

・・・、思わずにっこりと笑ってしまいました。

あ~、あんなに必死になって両手いっぱい探していたのに、

すでにわたしの中に在ったのだ、と。

外側にやっきになって探す必要はすでになかったのです。

必要なものは、すべてわたしたちの中に存在していたのです。

 

そのとき、これだ!と、確信しました。

確信とは迷いが一切ありません。

どんなに格好がおかしくても、色つやがへんてこでも、

これなんだ。と思う静かなもの。

外側という意識はまったくありません。ゆるがないものです。

 

今でも、この松ぼっくりは私のシンボルです。

不安と焦り、恐怖で 外側に安らぎ、安定、栄光を求めようともがくとき

このシンボルは、語りかけてくれます。

「すべては、自分の中に在るんだよ」、と(^_^)

 

新たに始めましたブログのサブタイトルも、そんな思いからつけました。

すべては自分の中に存在している、言葉を超えた本当の意味。

だからこそ心に響くのだと思っています。

 

ブログを再開しました


 

昨年からホームページとブログが何らかの不具合により

閉鎖状態でしたが、ブログを新たに再開することになりました。

今まで書きためてきましたデータ&写真はすべて、どこかへ。。

データが消えることってあるのですね、、と気長に受け止めています(*^_^*)

 

こつこつとカスタマイズしながら、ブログとコラムもアップしていきますので

新たな 加納ミサ公式ブログをよろしくお願いします。