『 すべては 自分の中に在る 』
この言葉の意味を体験をもって細胞に刻まれたのは、2年前。
写真の’まつぼっくり’さんが私に教えてくれました。
山中湖のリトリートワークに参加していた時のこと、
自分の波長をシンボルにするというワークを戸外で行っていた時のことです。
そのときの私は誰よりも素敵なものを見つけようと、
両手いっぱい、葉っぱや木の枝など拾い集めていました。
外側ばかり気にして探していたのだと思います。
ところがこんなにたくさん拾ったのに、
なぜかそこから満足のする一つを選ぶことができません。
それよりも、もっと良いかたちをした葉はないかな、
これ珍しい。など、もっともっとが止まらない状況でした。
終了のベルが鳴る直前、わたしは「・・・、何か違和感が。。、」
焦りと飢えに似た満たされない感覚を覚えました。
少し手放した方が良いかもしれない。
かすかな声に耳を傾け、両手いっぱい拾っていたものを
地面にそっと置き、土の上に大の字になり ゴロンと横になりました。
風に乗ってサカサ鳴る葉の音、虫の音色、
土と草のにおい、あったかな太陽のぬくもり。
何も考えずただただ、静かに全身で受けとっていると、
ワーク終了のベルが鳴りました。
目を覚ますと、私は何も持たず起き上がり会場へと歩き始めました。
何も手にはしていませんが、
わたしは心から満たされていることに気づきました。
歩きながら、ふと首から下げている自分のネームタグを見ました。
そこには、、、一個の小さなまつぼっくりが入っていました。
それはその日の休憩中、森のなかを散歩しているときに出逢っていました。
なんとなく気になって拾い、そのままネームタグに入れておいた
松ぼっくりだったのです。
・・・、思わずにっこりと笑ってしまいました。
あ~、あんなに必死になって両手いっぱい探していたのに、
すでにわたしの中に在ったのだ、と。
外側にやっきになって探す必要はすでになかったのです。
必要なものは、すべてわたしたちの中に存在していたのです。
そのとき、これだ!と、確信しました。
確信とは迷いが一切ありません。
どんなに格好がおかしくても、色つやがへんてこでも、
これなんだ。と思う静かなもの。
外側という意識はまったくありません。ゆるがないものです。
今でも、この松ぼっくりは私のシンボルです。
不安と焦り、恐怖で 外側に安らぎ、安定、栄光を求めようともがくとき
このシンボルは、語りかけてくれます。
「すべては、自分の中に在るんだよ」、と(^_^)
新たに始めましたブログのサブタイトルも、そんな思いからつけました。
すべては自分の中に存在している、言葉を超えた本当の意味。
だからこそ心に響くのだと思っています。