加納ミサ公式 Blog & Column 心で生きる Healing The Heart

究極な目的

 

人生の目標やゴールが見つからない。

 

自己啓発系などで、「目標を明確にしましょう。」

など言われた日には、目標が無い人には余計苦しく、辛く

このままではダメだ!見つけなければ。と

追い込んでしまうかもしれません。

 

わたしもそんな一人でした。

周りがどんどん目標を明確にし実装しているのに

あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。。。

私の目標はこれだ!と思いきや数ヶ月後にはあれっ、違うと。。

 

そんな自分を叱咤しながら追い込み、

まるで軍隊か スポ根なみにとことん自分を追い詰めてしまうタイプ。

 

そういう時にかぎって、青い鳥を探せではないですが、

これだというのはなかなか見つからないというか、気づかないもの。

 

隣の芝生は青く感じるし、なんで自分は。。と余計追い込んだり

見なかったことにしようと、何かに逃げたり。。

 

もちろん目標を明確にし、それにそって生きるタイプの方もいます。

でも万人みな 同じタイプではありません。

 

共通することと言えば、今していることが

「とことん興味があるかどうか」 ではないでしょうか。

 

それがたとえ、生産性を産むものでなくても、

家事や、育児、旅行や、スポーツでも、

芸術に、読書、友人と逢うことや、祈り、何でも。

 

それらがすべて、何かから逃げることへの代用ではなく

「心からやりたいこと」 であったら

「今は」 それにとことん集中すること。

 

ポジティブと言われている事ばかり挙げましたが

怒りや、悲しみなどに浸っていたい。眠っていたい。

家にこもっていたいということも含め、すべて

心からやりたいことであったら、極めていくことが在りだと思います。

 

なぜそれらが、悪いことと決めつけるのか、

それらもすべてが愛の変容だとすれば、

受け入れてあげる素直さの方が、よっぽど健全な心なのでは、と。

 

そこから扉は開き、真の目的につながる糸が無限に伸びていくのですね。

まるで美しい蜘蛛の巣のように、人生の設計図が作成されるのかな、と。

 

絵も、歌も表現においてすべてだと思いますが、

うまくやろうと思う気持ちよりも、

無心になって取り組むことで、いつの間に作品が仕上がった。

どこにつながるかは分からないけれど、

何か大きな存在に素直にゆだねて描いてみたら、

ここにつながったということがおきます。

 

もちろん、いろんな感情を爆発させながらの作品創りもあります。

その感情や作品にこめたエネルギーを人々は

観て、聴いて、心を揺さぶられるのではないでしょうか。

 

表面上でうまくやろうではなく、

その奥の芯が大切。

 

周りからどう見られるかなどの評価より

何よりも、何よりも、自らが

それ自体を心から愛するエネルギーが大切なのですね。

 

人が生まれ持った魂の目的が在るとすれば

それは壮大で言葉には当てはまらないようなことかもしれません。

もしかすると、肉体を離れるときに、わたしの目的はそうだったのか!と

気づくことがあるかもしれません。

 

そして、わたしたちの生きる究極な目的は

わが家へ還ることではないでしょうか。

 

心安らぐ、平安なわが家。

「おかえり」

この言葉を待っているのかもしれませんね。

 

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